タディのブログ

人狼ゲームのことや、猫カフェの画像や身近に起きたことを適当に書いてます。旧薫平ブログです。

東日本大震災当日

2011年3月12日 東日本大震災発生。

発生時点では自分は会社のトイレに居ました。 最初は「少し揺れているな」という程度でしたが、自分の席に戻るまでにはまともに歩けない程度まで大きな揺れになっていました。パソコンのモニターは音を立てて揺れ始め、紙相撲の力士のように少しづづ動いていく。大きな地震ながら、横揺れであったために、大きな被災の心配は全くしませんでした。自分の感覚は「震度4強もしくは5弱」だったのですが、後で震度5強と知って驚いたのを覚えています。 大きな地震であったため、当初は「東京近郊が震源地だったのかな」と思いました。しかし、Twitterで確認するに、東北の方が酷い様子。 刻々と流れてくる情報に唖然としていました。

会社からは帰宅令が出され、17時前後に帰路に。 恵比寿はバスの拠点でもあるので「JRは動いていないだろうけれども、代わりのバスは動いているだろう」と考えていましたが、その考え方は甘く、振替バスもなく、電車、地下鉄などのJRの交通機関は完全にストップ。それどころか「建物崩壊の危険性があるのでホームに帯要らないでください」のアナウンスが流れていました。 自分の自宅は板橋です。恵比寿からは歩いて二時間半ほどの距離なのですが、道は池袋まで明治通りを直進すればよくで分かりやすかったので、歩いて帰ることにしました。 自分は歩くのは好きな性格なので二時間半程度のほどなら楽勝だと思っていました。靴もランニング用の良い靴を履いていたので披露の心配もなかったので、道のりを非常に楽観視していました。

明治通りに出で15分程度歩けば渋谷です。渋谷駅には恵比寿駅とは比較にならない程の人で溢れかえっていました。恵比寿駅では見なかったのですが、ベビーカーを押している方、ご老人など様々な人達が当ても無く駅の周辺に固まっていました。この辺りで、被災の感覚が自分にも生まれてきていました。 渋谷から池袋までは、バスも出ています。しかし、既に長蛇の列(100人近い列)が出来ていて、かつ、道路自体が渋滞を既に起こしていたので、自分はそのまま歩き続けました。知り合いに「JR復旧したら教えて、途中からでも乗るから」とメールしたら「分かったけど、今日は終日運転中止らしいよ」と帰ってきて、考えが甘かったのを知りました。 人が多くてゆっくりとしか歩けず「これは3時間以上掛かるな」と思ったのを覚えています。

原宿を通過。この辺りから学生が多くなってきました。途中街頭テレビを眺める人で道路が埋まっていたりなど、歩道も大混雑でした。千駄ヶ谷を通過して新宿。ここから歩道には収まりきれないほどの人で溢れかえっていました。道なりにある松屋や飲食店は営業中止か、大混雑。松屋に10人の列が出来ていたのを見たは人生で初めてです。 途中新宿では建物が一部崩壊していて立ち入り禁止の黄色いテープが貼られている場所もあり、被害の様子が見て取れました。ですが、ここまでは大きな建物の崩壊も液状化もなく、歩行者が車道まで溢れているのを除けば街は平和だったと思います。しかし、徐々に大きくなる人の群れが、自分の被災者意識を高めました。途中道で蹲っている人もいて、地べたに座ったりと、日常ではない光景がありました。 渋谷駅で自分とほぼ同時に出発したはずのバスは、歩きの自分よりもこの時点では遅れていたの覚えています。

西早稲田通過。ここで、余震のせいなのか、単に足を踏み外したのか覚えていないですが、派手に転んでしまいました。肘と膝に大きな擦り傷ができるくらいのダメージ。肉体的ダメージよりも、精神的に非常にキツかったです。多分大丈夫だとは思ったのですが、ちょうど中間点辺り。痛みに慣れるまでは、しばらく足を引きずるように歩きました。 あのとき、落とした携帯電話を拾ってくれた見知らぬ人には、ここで心から感謝します。

その後は特に何もなく池袋到着。 渋谷に劣らぬ人の群れでしたが、慣れ親しんだ街の様子に安堵しました。 ここで休憩がてらに食事。自宅までは残り30分程度でした。

自宅マンションに着くと、エレベーターが止まっていたので、11階の階段を上り部屋に帰りました。 部屋の様子は、キッチン上の戸棚から物が落ちていたり、本が散乱していました。 ですが、逆にこの程度で済んでいて良かったとも思いました。 ガスは止まっていましたが、地震による停止なのはすぐにわかりましたし、電気水道のライフラインは問題ないのがすぐに確認できたからです。 兎にも角にも震災当日はいわゆる「帰宅難民」程度の被害で済みました。

2011年3月13日土曜日  六時過ぎに起きました。前日の疲れからか、前日は23時はもう寝ていました。  昨日3時間歩いたからか、凄くお腹が空いていたのと、まだガスの元栓を開いていなかったので、窓から営業しているのが見えたファミレスにモーニングを食べに行きました。  この時点で福島原発のニュースを見ていて、それが心配ないことはわかっていながら「通常営業してますか?」と聞いたのを覚えています。  周りにはスーツや制服姿の客がテーブルに突っ伏して寝ていました。  ここまで歩いて来たんだろうな、と思いながら、自分の3時間の帰宅はむしろ近かったんだな、と感じました。

 今日はここまで