[caption id="attachment_436" align="alignnone" width="149" caption="iPad"][/caption]
■不評だが、的確なCM iPadのCMは不評だ。 ナレーションの方には申し訳無いが、iPadを購入するという行為を非常に壁を高いものにしていると思う。それは、iPadの魅力を伝えるには言葉という表現方法すら、古いということを示しているのかもしれない。
しかし、CMとしては少なくとも日本人向けではないにしろ、あのCMは限られた秒数でiPadの魅力を伝えるには十分な情報が詰まっている。ほぼ信実しか伝えていない。 魔法のデバイスというコピーに嘘はない。これは魔女の箒のようであり、ガンダルフの杖のようであり、はるかSF映画の世界の実現者でもあった。
■最初の印象は「ちょっと便利なノートPC」 そんな魔法のデバイスを自分は、iPadを発売日にApple Online Storeより購入した。 Wi-Fiのみの16GB。最小スペックだ。ただしその最小には重量も含まれる。自分は、常々私物のLet's Noteを会社に持って行って仕事をする事が多かったのだが、その代わりになればいいぐらいのテンションだった。なので軽さは最も大事な要素の一つだった。 つまり、利用前は「ちょっと便利なノートPC」ぐらいの認識だったのだ。
■手に入れてみて 発売日、続々とTwitterで、RSSフィードで、TVニュースで(まさしくこの順番で)iPadの情報が流れ込んでくる。
会社から早めに帰ってすぐに運送会社に連絡し、iPadの再配達を頼んだ。 6時過ぎに配達が来る。まず驚いたのは、一緒に頼んだキーボードドックよりもiPadの箱の方が小さかった事だ。
電源を入れると「iTuneへ接続」という表示。早速上記のLet's Noteと接続して初期設定を終了した。自分は、iPadを音楽デバイスとして使うつもりはなかったし、携帯電話はHTC DESIRE、Androidだったので、iPhoneとのSyncなどの設定もしなかった。
早速、事前に調べていたアプリをダウンロードした。 Good Reader,DropBox,iBooks,i文庫などなど。 GoogleSyncも行い、メール、カレンダー、連絡先も同期。 これで準備は整った。 そして翌週から会社で使い始めた。
■iPadを手に入れた二週間後の世界 自分の生活は劇的に変わった。 自分の周りから紙が消えた。会社の書類も、一度読んだら捨ててしまう雑誌も全てiPadに吸収された。自宅でノートPCの電源を付けない日が多くなった。Twitterも、Amazonも、WEBブラウジングは全て椅子に座ってではなく、ベッドに横になってできるようになった。見たいときに一瞬でsafariが開く。PCを立ち上げる時間もiPadと同時に消え去った。
会社での仕事も劇的に変わった。 いままで、会議の際に使うノートPCは目の前のクライアントとの壁に過ぎなかった。 だが、iPadはその壁を取り消してくれた。いや、壁を取り消してくれただけでなく、その中にある様々なアプリは非常に会話の弾むコミュニケーションツールにもなってくれた。
たった2週間で、自分はiPadに対する自分の認識が間違っていたのに気づいた。 iPadはiPadでしかない。 iPadは、ノートPCではないのだと。 気づけば、どのデジタルガジェットよりも自分の身近にいるようになっていた。
■今のiPadは自分にとって「ドラえもんの四次元ポケットのプロトタイプ」 自分が今、iPadを表現するときに気に行っている一番の表現は「ドラえもんの四次元ポケットのプロトタイプ」という表現だ。 クラウドという四次元空間からアプリケーションがワンクリックで手に入る。ドラえもんも限られた予算で道具を買っていたのを思い出して妙にしっくりときた表現だった。
日本人なら誰しもドラえもんの道具に憧れた時期があるはずだ。 そのiPadはそんな未来への第一歩なのかもしれない。
■iPadの課題。 いいことだけ書いているうちに、生来の批評家精神がむくりとおきてきたので、問題点も書こうと思う。 「iPadの課題」と書くとiPadのハードウェアやOSの問題のようだが、そうではない。 むしろ、いまから書くのは日本の、日本の企業の問題のことだ。
iPadの魅力の一つに、動画がフル画面で観られるとう点がある点がある。 実際、iPadのデフォルトのYouTubeアプリは非常にキレイで申し分ない。
でも、日本の動画サイトはフラッシュに依存した構成になっているからか、そもそも観れないサイトが多い。 自分はニコニコ動画をよく見るが、今現在、iPadでニコニコ動画を見るにはiPhoneアプリを使うしか無い。 これでは、せっかくiPadを使っている意味が無い。
そして、電子書籍だ。 各出版社が共同で雑誌を読むためのアプリを出しているが、これが全般的に酷い。 ただの画像の集合体でしかないのだ。 iBooksのように、本ではなく、ただページをキャプチャした画像を集めただけで電子書籍を名乗るのは本当にやめて欲しい。
そういった点では、softbankの「ビューン」には非常に期待している。 サーバーの問題で今はサービスを停止しているが、これぞ電子書籍というものになるよう期待している。
他にも細かい問題を上げればキリがない。でも、それはiPadの持つハードとしての魅力を考えれば微々たるものなのだが。
■最後に つまるところ、既に自分はiPadを使える状況にない人は非常に不幸な人だと感じざるをえない。 こう例えると分かりやすいかもしれない。
iPadを持っている、持っていないと言うのは「ドラえもんのいないのび太と、ドラえもんのいるのび太だと」だと。
当然、この原稿もiPadのキーボードで書いている。 慣れたらこのぐらいの文章は1時間も必要ないのだ。